外来診療を中心に行ってきた歯科医院が訪問歯科を始める場合、「患者の自宅や施設へ行けば診療できる」と考えてしまうと、立ち上げ後にさまざまな問題が生じる可能性があります。
訪問歯科では、対象となる患者や訪問範囲、診療報酬上の取扱いだけでなく、診療体制、人員配置、院内オペレーション、移動時間、施設との連携、営業活動、収支管理など、外来診療とは異なる視点が必要です。
特に外来一本で運営してきた歯科医院では、「診療技術」よりも、訪問歯科を継続的に運営するための仕組みづくりが課題になるケースが少なくありません。
本記事では、これから訪問歯科を始めたい歯科医院に向けて、訪問歯科で気をつけることと、事前に確認しておきたい主な条件・体制・運営上のポイントを解説します。
具体的な立ち上げ手順については「訪問歯科の始め方」で詳しく解説しています。
訪問歯科を始める際に気をつけること
訪問歯科を始める際に特に気をつけたいのは、次の7点です。
- 訪問歯科の対象患者・制度上の条件を理解する
- 外来診療と訪問診療を両立できる人員体制をつくる
- 移動時間を含めて診療スケジュールを設計する
- 訪問件数ではなく採算性まで確認する
- 診療だけでなく施設・ケアマネジャー等との連携体制をつくる
- 営業先を増やすことだけを目的にしない
- 院長個人に依存しない運営体制をつくる
訪問歯科は、患者を獲得すれば成立する事業ではありません。
診療、移動、人員、設備、連携、請求、営業などを一つの事業として設計しなければ、患者数が増えるほど医院側の負担が大きくなることもあります。
したがって、訪問歯科を始める前に「何件取れるか」だけでなく、「どのような体制なら継続できるか」を考えることが重要です。
訪問歯科を始める前に確認したい主な条件
訪問歯科を始める際には、単に訪問用の機器を準備するだけではなく、制度上・運営上の条件を確認しておく必要があります。
対象となる患者の条件を理解する
保険診療として行う歯科訪問診療では、原則として、疾病や傷病などによって歯科医院への通院が困難な患者が対象となります。
「高齢者だから」「施設に入居しているから」という理由だけで、一律に訪問歯科の対象になるわけではありません。
歯科医院側がこの点を理解していないと、患者紹介を受ける際や施設との連携時に認識のズレが生じる可能性があります。
訪問距離に関する条件を確認する
歯科訪問診療料には、保険医療機関と患者の所在地との距離に関する取扱いがあります。
原則として、保険医療機関の所在地を中心とした半径16km以内が、保険診療として歯科訪問診療料を算定する際の範囲となります。
ただし、この「16km」は、歯科医師が16kmを超えて訪問すること自体を禁止するものではありません。
16kmを超える場合でも、患者の近隣に必要な診療に対応できる歯科医師がいないなど、その保険医療機関から訪問することが絶対的に必要と認められる場合には、例外的に保険診療として取り扱われることがあります。
一方、患者が特定の歯科医院を希望しているという理由だけで16kmを超えて訪問する場合は、原則として保険診療として歯科訪問診療料を算定することはできません。
したがって、訪問歯科を始める際には、「16km以内なら訪問できる」という単純な商圏の考え方ではなく、保険診療上の算定要件と、自院が効率的・継続的に診療できる訪問エリアの両方を踏まえて設計することが重要です。
診療場所・施設との関係を確認する
患者の居宅、介護施設等、訪問する場所によって診療の状況や連携方法は異なります。
特に施設への訪問では、
- 施設側の担当者
- ケアマネジャー
- 介護職
- 医師・看護師
- 家族
などとの情報共有が必要になるケースがあります。
診療だけでなく「誰と連携するか」まで設計することが重要です。
外来診療と訪問歯科を同じ感覚で運営しない
外来診療と訪問歯科では、1日の診療の組み立て方が大きく異なります。
外来では患者が医院へ来院しますが、訪問歯科では歯科医師やスタッフが患者のもとへ移動します。
そのため、
- 移動時間
- 駐車
- 機材の搬入・撤収
- 施設スタッフとの調整
- 患者の状態確認
- 診療後の情報共有
など、診療時間以外の業務が発生します。
外来診療と同じ感覚で「1件30分だから1日○件診られる」と計算すると、実際の運営と大きくずれる可能性があります。
訪問歯科では、診療時間だけでなく移動や準備まで含めてスケジュールを設計する必要があります。
訪問歯科では人員体制の設計が重要
訪問歯科を院長一人で始める医院もありますが、患者数が増えるにつれて運営上の負担も増えていきます。
特に確認したいのは、
- 誰が訪問するのか
- 誰が外来を担当するのか
- 誰が訪問スケジュールを管理するのか
- 誰が施設や家族と連絡を取るのか
- 誰が診療報酬請求を確認するのか
という役割分担です。
院長が診療、移動、営業、連絡、スケジュール管理まですべて担う体制では、訪問件数が増えるほど業務が集中します。
訪問歯科を継続的な事業にするのであれば、早い段階から「誰が何を担当するか」を整理することが重要です。
訪問件数だけでなく収支を確認する
訪問歯科を始める際、「患者が何人いれば採算が合うか」を考える医院は多いでしょう。
しかし、収支を見る際に患者数だけを見るのは十分ではありません。
訪問歯科では、
- 歯科医師・歯科衛生士等の人件費
- 移動時間
- 車両費
- 燃料費
- 機材費
- 消耗品
- 営業・連携活動
- 事務・請求業務
なども発生します。
重要なのは、
売上-訪問歯科を運営するための実際のコスト
で判断することです。
特に移動効率は収益性に大きく影響します。
患者が広い地域に点在している場合と、一つの施設や近接する地域にまとまっている場合では、同じ患者数でも運営効率が大きく異なります。
訪問エリアを広げすぎない
訪問歯科を始めた直後は、「依頼があればどこでも行く」という運営になりがちです。
しかし、訪問エリアを広げすぎると、
- 移動時間が増える
- 1日に訪問できる患者数が減る
- スタッフの拘束時間が増える
- 予定変更への対応が難しくなる
などの問題が生じます。
立ち上げ時には、制度上の訪問範囲だけでなく、
「自院として効率的に運営できる商圏」
を決めておくことが重要です。
訪問歯科の営業で気をつけること
訪問歯科では、患者本人が直接歯科医院を探すケースだけでなく、介護施設やケアマネジャー、医療・介護関係者などから相談・紹介を受けることがあります。
そのため、地域で訪問歯科を認知してもらう活動は重要です。
ただし、
「施設に営業に行けば患者を紹介してもらえる」
という考え方だけでは、継続的な連携にはつながりにくいでしょう。
施設や介護関係者が求めているのは、単に訪問して治療する歯科医院だけではありません。
- 相談への対応
- 急な症状への対応
- 口腔管理
- 情報共有
- 職員との連携
- 診療スケジュールの安定
なども含め、安心して患者を任せられる体制が重要です。
訪問歯科の営業では「患者を獲得する」という発想より、
「地域の医療・介護関係者から相談される歯科医院になる」
という視点が重要です。
施設営業だけに依存しない
大規模施設との連携は効率的に見えますが、一つの施設への依存度が高くなりすぎることにも注意が必要です。
連携状況が変化すると、患者数や売上に大きな影響を受ける可能性があります。
そのため、
- 介護施設
- 居宅介護支援事業所
- 地域包括支援センター
- 訪問看護
- 医療機関
- 既存患者や家族
など、複数の地域接点を持つことが重要です。
短期的に患者数を増やすことだけでなく、地域の中で継続的に相談を受けられる関係を構築することが、安定した訪問歯科事業につながります。
訪問歯科では院内オペレーションを決めておく
訪問歯科が始まると、外来とは異なる業務が院内に増えます。
たとえば、
- 問い合わせ受付
- 初回情報の確認
- 訪問日時の調整
- 持参物の準備
- 診療記録
- 次回訪問日の設定
- 家族・施設との連絡
- 請求業務
などです。
これらを担当者の経験や記憶だけに任せると、件数が増えるにつれて漏れや負担が生じやすくなります。
立ち上げ時から、
- 受付から初診まで
- 訪問準備
- 診療
- 診療後の情報共有
- 次回予約
- 請求
までの流れを標準化しておくことが重要です。
最初から大きな設備投資をしすぎない
訪問歯科では、ポータブルユニットをはじめさまざまな機器・備品があります。
しかし、訪問歯科を始める段階で、すべてを一度に購入する必要があるとは限りません。
- 対象患者
- 予定する診療内容
- 訪問件数
- 訪問先
- 既存設備
などを踏まえ、
「実際の診療に必要なものから揃える」
という考え方が重要です。
患者数や診療内容がまだ固まっていない段階で過剰な設備投資をすると、回収に時間がかかる可能性があります。
訪問歯科を院長個人の仕事にしない
訪問歯科の立ち上げ時は、院長自身が営業し、訪問し、患者や施設との関係をつくることも少なくありません。
しかし、その状態が続くと、
「院長がいなければ訪問歯科が回らない」
事業になってしまいます。
継続的に事業を成長させるためには、
- スタッフが対応できる業務
- 院長しかできない業務
- 標準化できる業務
- 外部と連携できる業務
を分けていく必要があります。
最終的には、医院として訪問歯科を運営できる「自走体制」をつくることが重要です。
訪問歯科を始める前に決めておきたいこと
開始前に少なくとも次の項目を整理しておきましょう。
- なぜ訪問歯科を始めるのか
- どの地域を対象とするのか
- どのような患者を想定するのか
- 誰が訪問診療を担当するのか
- 外来との診療時間をどう分けるのか
- 必要な機材は何か
- 患者・施設からの問い合わせを誰が受けるのか
- 訪問スケジュールを誰が管理するのか
- 地域のどこと連携するのか
- 営業活動を誰が行うのか
- 収支をどのように管理するのか
- 将来的にどのような体制を目指すのか
これらが曖昧な状態で訪問歯科を始めると、患者が増えてから体制を作り直す必要が生じます。
訪問歯科の立ち上げでよくある失敗
患者獲得を最優先してしまう
患者が増えても、診療体制や移動効率が整っていなければ医院の負担が増えてしまいます。
外来の空き時間だけで運営する
訪問歯科を「空いた時間に行く診療」とすると、安定したスケジュールや連携体制を構築しにくくなります。
院長一人ですべて対応する
立ち上げ時には可能でも、件数が増えるとボトルネックになりやすくなります。
営業先を増やすことだけを考える
重要なのは訪問先の数ではなく、患者・施設・地域の関係者から継続的に相談される関係をつくることです。
制度や診療報酬の理解が不十分なまま始める
訪問歯科は保険診療として実施するケースが多いため、対象患者、算定要件、診療報酬等を確認したうえで運営する必要があります。
訪問歯科についてよくある質問
外来中心の歯科医院でも訪問歯科を始められますか?
始めることは可能ですが、外来診療とは異なる人員、移動、スケジュール、機材、地域連携などの設計が必要です。
まず小規模に開始し、医院の体制に合わせて拡大していく方法も考えられます。
訪問歯科を始めるには専用の設備が必要ですか?
診療内容によって必要な機器・備品は異なります。
最初からすべてを揃えるのではなく、想定する患者や診療内容を整理したうえで必要な設備を検討することが重要です。
訪問歯科の営業はどこに行けばよいですか?
介護施設だけでなく、居宅介護支援事業所、医療機関、訪問看護など、地域の医療・介護関係者との連携が考えられます。
重要なのは営業先の数より、地域のどのようなニーズに自院が対応できるかを明確にすることです。
訪問歯科は何件くらいから採算が合いますか?
一律の件数では決められません。
人員体制、移動距離、患者構成、診療内容、訪問先、設備投資などによって収支は変わります。
患者数だけではなく、1日の動線やスタッフの拘束時間を含めて収支を設計する必要があります。
訪問歯科は院長自身が担当した方がよいですか?
立ち上げ段階では院長が関与することにメリットがありますが、長期的には院長だけに依存しない体制を構築することが重要です。
まとめ|訪問歯科は「始めること」より「続けられる仕組み」をつくることが重要
訪問歯科を始める際に気をつけることは、診療機器や患者獲得だけではありません。
外来中心の歯科医院が訪問歯科に取り組む場合には、
- 訪問歯科の条件・制度を理解する
- 外来と両立できる診療体制をつくる
- 移動を含めたスケジュールを設計する
- 患者数だけでなく収支を見る
- 営業先の数ではなく地域との連携をつくる
- 院内オペレーションを標準化する
- 院長だけに依存しない体制をつくる
ことが重要です。
訪問歯科は、単に新しい診療メニューを追加するだけではなく、医院の中に新しい事業を立ち上げることに近い取り組みです。
そのため、立ち上げ段階から「患者をどう増やすか」だけでなく、「医院としてどのように継続して運営するか」を設計することが重要になります。
訪問歯科の始め方|必要なもの・準備・営業・運営を6ステップで解説
本記事の情報について
本記事は、厚生労働省が公表する歯科訪問診療・診療報酬に関する情報等を踏まえ、これから訪問歯科を始める歯科医院が確認しておきたい制度・体制・運営上のポイントを整理したものです。
訪問歯科に関する算定要件や診療報酬、届出等については改定される場合があります。実際に訪問歯科を開始・運営する際は、最新の厚生労働省通知・診療報酬点数表等を確認し、必要に応じて地方厚生(支)局、歯科医師会、専門家等へご確認ください。
執筆者:松村 厚
アップストリーム合同会社 代表社員
事業開発、営業・販路開拓、販売チャネル構築、医療・歯科領域の事業承継・M&A等の経験を経て、2026年にアップストリーム合同会社を設立。現在は医療コンサルティングを軸に、医療・ヘルスケア領域の事業推進を支援しています。

